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魂で聴く

以前に書いた、『後に分かる…。』の部分。
今日は少し掘り下げたいと思います。

アメリカでの妊娠中、私は迷いなく
一番自然な方法、自然分娩で出産する
と決めていました。

どこにいようと、どんな時代でも、
女性達は自然に子供を産んできた。

当時、
異国で初めての出産を控えていた私は、

” 洪水で木の上に避難していた妊婦が
 木の上でも自力で無事出産した ”

という話を心の支えにしていました。
↑ 大げさっ(笑)

それがね、ある時突然気が変わったんです。

せっかく無痛で出産できるという
選択肢があるのに、何故検討しない?と。

無痛分娩への切り替え

無痛分娩でのリスクはもちろんあるけれど、
初産で、お勉強でカチカチ頭の
夫のヘルプしかない。。

ここでは基本誰にも頼れないし、
アメリカは産後1泊で退院させられる。。

産後の回復が良い、という情報を信じて、
私はあっさりと無痛分娩に切り替えました。

なぜ簡単に切り替えられたと思います??

お腹の赤ちゃんからのメッセージだったから!

今なら分かる。

赤ちゃんには不思議な力があるし、
妊娠中の母子は一心同体。

このまま自然分娩したら、痛みと脳圧で
動静脈瘤あるところが分娩中に破裂して

→ 脳出血起こす
→ 母子共に危険
→ だから無痛がいいと思うよ〜

のメッセージだったんです。

無条件にちゃんと受け取ってた。
わりとこういうの、素直に乗っかれる方
なんですね、私。

自分の感覚を信じる事、それに従ってみること

これが素直にできる人もいれば、
人間脳(思考部分)が優位になりすぎて、
本来持つ生きるための本能に近い
動物脳をかき消してしまって、
メッセージを受け取れない人も
多いかもしれない。

死の淵でDr. ダムーンが会いに来てくれた
と感じたのも、これかもしれないね。

※「ナースステーション前の特別な部屋」参照

最近、同じような体験をしました

96歳の祖母が先日、
自宅であるケア付きホームで転倒して
大腿骨を骨折。

それまでは、弱りながらも
定期的にプールで歩いたりして
頭もしっかりした祖母です。

手術して入院期間を終えて自宅に帰る、
と決めている祖母。

周りの家族としてはリハビリをしてから
帰宅して欲しい。

祖母のケアホームは、
身の回りのことができ、自分で生活する事
が前提のホームなので、
自立生活が出来ないと系列の
お世話付きホームに回されてしまう。

祖母は絶対にそちらにはいきたくない、
という固い意志を持っている。

祖母は本当に強い人で、

昔から

  • 病院にはかかりません
  • 何があっても延命は要りません
  • どんな注射もしません

とはっきりしていた。

夢で祖母に会いに行った

今の状況ではお見舞いに行っても
面会できず、母は一度だけ
画面越しに話したそうだけど、

『転院しません。家に帰ります』

の一点張り。

それを母から聞いた日の夜、
私はベッドの中で祖母に会いに行ってきた。

『この状況で行き来できないし、
 逢いに行かれないよ…。』と言いたくて。

祖母は優しく微笑んで
『ありがとう。大丈夫』と。

退院数日前に母がオンライン通話を
病院を通して申し入れたけれど、
祖母は話すことすら拒否(笑)

色々言われる、ってことが
分かっているもんね。

そんなところが
とても大ばばちゃん(祖母)らしい。

頭はしっかりしていて、ただノイズを消して
心穏やかにいたかったのね。

退院時、母はケアの車には同乗させて
もらえなかったようだけど、
私が夢で話したと(この話を)
祖母に伝えてもらったら、

笑顔で『うんうん、いつものね。』
と言っていたそう。

いつも祖母の方から
話しかけてくれていたんだね。

肉体を卒業すること

祖母はもう動けていないと思う。
でも、穏やかな残りの時間を
過ごしているはずだ。

私には分かる。

死は決して悲しいことではない。
自然なこと。

皆いつかは今纏っている肉体を卒業する。

卒業って悲しみではなく
おめでとう、ってお祝いだよね。

次なるステージへのステップだよね。
楽しみだね。

祖母は私の人生のお手本

着物も茶道も
祖母の影響でのめり込んだ世界。

大ばばちゃんありがとう。

書きながら涙流しているけれど、
悲しみとは違う。

死は怖いとか、悲しいとか、
どこでいつ迎えるかとか、
かわいそうとか、

それは周りがどうこう言う事ではなくて
当人が決めることよね。

たぶん私は、肉体を卒業する
タイミングではなかったから
ギリギリで引き返して来たんだな。

ということは、
やっぱり私にはまだ何かお役目がある。

何をするか、何が出来るかではなく、
難しく考えずに自分らしく
楽しんで生きる事がお役目
なのかもね。

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