赤ちゃんの足

みんなキセキを生きている『貧乏学生夫婦、ニューヨークで子供を産む』

※こちらの記事は前回の続きです。
https://bms-balance.agreable.space/2021/06/21/1758/

夫が大学院在学中に、ニューヨークで妊娠しました。

ニューヨークの冬は寒かったけれど、
妊娠期間を過ごすには快適でした。

夜に雪が降っても
翌朝には一気に除雪機が出動して、
歩くスペースは除雪してくれます。

築100年級のアパートメントでも
室内は自動的に暖房が入りますし、
地下にはコインランドリーもありました。

部屋は1階でしたが、
マイナス15度の日でも
底冷えすることはありませんでした。

当時、
マンハッタンの地下鉄入り口には
エレベーターがついていませんでしたが、
(アッパーウェスト側ではコンサートホールなどがある大きな駅に一か所だけ。)

地下鉄の改札に通じる階段では、
妊婦が荷物を持っていたら

通りがかりの男性が間違いなく!

上まで運んでくれます。

なんなら抱っこしてくれそうな勢いで(笑)
NYの住人はとても優しいのです。

学生保険で出産カバー出来るクリニックは
限られていましたが、

私が選んだ産婦人科の先生は、
コロンバスサークル近くに
オフィスを構えていた、

 Dr.Dhamoon という
インド人のお婆ちゃん。

信頼できる先生で、
とても安心して出産を迎えられました。

Upper East の
Lenox Hill Hospital という病院でした。
(通常アメリカでは、町のクリニックで診察して、病院で出産や入院をします。)

何がなんでも一番自然な ”普通分娩” しかあり得ない、と思っていたけれど、、、

この頃は、まだまだ思考も
思い込みで凝り固まっていた時でした。

母も祖母も、
海外での出産は心配していましたが、
父の持病もあり、
母のヘルプは頼めません。

”赤ちゃんは自力で生まれてくる”
が感覚的に捉えていた私の持論でした。

でも出産が近づくにつれて、

”せっかく選べる環境なのだから”
となぜか気が変わり、

結局 ”無痛分娩” で
出産することに決めました。

出産予定は卒業式後の夏休み中。学校支給の家は出なければならず、、、

大学の貼り紙(当時はまだリアルな掲示板)
で見つけた4ブロック南の
アパートメントへ。

臨月での引越しでした。

元々荷物少なかったから
何とかなったのかしら。。

どんな状況で引越しできたのか
覚えてないです。

おそらく、例の友人カップルに
頼ったんだと思います。。
”例の友人カップル” は第一話に登場します。

夫と2人で迎えた出産。

インターネットと、
日本から送ってもらった
”出産・子育て” 本で予習していました。

初産あるあるでしょうか。

破水して、タクシーで
婦人科クリニックに行ったけれど、
まだ時間かかるので
運動がてら歩いて帰るように言われ、

素直に夫と59th st. から114th まで、

1時間近くテクテク歩いて
一度帰宅ました…。

当時は4Dとかの映像もなく、
私たちは最低限のケアだったので
触診と1回のエコーのみでした。

big girl!
と言われていたけど、

生まれてきたのは 2360g の
小さな赤ちゃんでした。

日本だったら保育器に入るサイズだとか??

予定よりも2週間早い出産でした。

でも
自然に陣痛が来て破水したので、
赤ちゃんが選んだタイミング
であったことは間違いありません。

”無痛分娩” にしたことも、
後から考えれば奇跡です。

赤ちゃんからのメッセージを
しっかり受け取っていたんですね。

この話は、また改めて。。。

痛みもなく、夫立ち合いで無事に女の子を出産しました。

アメリカの立ち会い出産は
みんなそうなのか、

Dr.Dhamoon(インド人のお婆ちゃん先生)
によるのか、

人が足りなかっただけなのか
分かりませんが、

夫は、立ち合うのではなく、
手伝わされていました(笑)

夫は心の準備もなく、
『こっち来てここ抑えて!』
と駆り出されていました(笑)

産後、アドレナリン出まくりで、眠りたいけど眠れない。

その上、嫌がらせかと思いましたが、
「ベッド備え付けの頭上ランプが壊れた」
とかで明るいままで寝るハメに。。

そしてアメリカの入院は高額すぎるので、
「翌日に赤ちゃん連れて
 検診とその他の手続きに来てね」
と、1泊で帰されました…。

日本では産後の肥立ちで1ヶ月間、
上げ膳据え膳で家事しない
と言われますが…私には無縁でした(笑)

退院後はもう必死でした。記憶ないです。

臨月で学生寮から引っ越し、
産後数週間だけ住んだ家には
IKEAのちゃぶ台と、
友人カップルが貸してくれた
畳めるエアーベッドがあるだけ。

夫はインターンシップで
仕事を始めていましたし、

家で一人、
ひたすら生まれたての我が子に
おっぱいを飲ませることしか
頭にありませんでした。

ちゃんと飲めているのかも
よく分からないし、
相談する人もいなかったので、

夜中の授乳中に
”おっぱい足りなかったら
 この子死んじゃうんだな…”
と考えていたり、

こちらが
何も手が出せない事を知ってか、
部屋を横断するネズミと
目が合ったりした気がします。

夫は
”ネズミなんて家で見たことない”
と言っていたので、
幻覚かもしれませんが(笑)

そんな心理状態でした。

裏切りません!トラブル発生!

帰国の準備もあったので、産後早々に
病院が出してくれた出生証明書を持って、
パスポートなどの手続きをしに役所へ。

そこで、出生証明書の私の旧姓に
スペルミスを発見したんです!!

病院へ戻り、ミスを指摘して
発行し直すようにお願いをすると、
断ってくるんですわ(笑)

「1文字くらい大丈夫だ」

と言われました。

何が大丈夫なんだろうか。。
娘が一生使う出生証明書ですけど。

翌日にもう一度病院へ行って
違う人にお願いしてみたり…。

この再発行手続きにどれだけ労力を費やし、
ストレスだったことか。

日本の感覚が当たり前だと思っていると、
海外の生活では本当に心労が絶えません。

スケジュール通りには物事が進まない…

それがこの国の ”当たり前” です。

担当者や、その人の
”その時の気分” で全てが変わりますから。

金銭的にも日程的にも
ギリギリの学生ビザだったので、
期限内には絶対に
アメリカを発たなければなりません。

結局私たち夫婦では埒が開かずに、
友人カップルに相談し、
アメリカ人の彼が話してくれ、

ゴネる担当者に100ドル渡して解決…!!

役所仕事がチップで解決するんですね。。

私たちが何日もかけた時間は
何だったのでしょう。
でもチップ社会の現実です。
勉強になりました。

ということで、
我が家にはタイプミスの出生証明書と
正式なもの、両方あります(笑)

なんとかビザ期限前に無事出国!出入り禁止にならずに済みました。

固定概念で
どんなに固まっていた考えも、
変えざるを得ない状況になったら、
捨てられるものですね。

そこから一歩づつ
新しい自分が見えてくる。

そして、
全部まとめて良いように動きます!

私のストーリーは、
次回『運命の日』に続きます。。。

みんなキセキを生きているシリーズ

  1. https://bms-balance.agreable.space/2021/06/10/4481/
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  4. https://bms-balance.agreable.space/2021/07/06/2192/
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  11. https://bms-balance.agreable.space/2021/09/03/3254/

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